大興安嶺 探検

 1942年 40歳になったばかりの学者としても、探検家としても油ののりきった今西錦司を隊長とする大興安嶺探検隊が結成された。
当時30歳前の青年昆虫学者であった森下正明は副隊長、漠河隊の隊長として探検に出かけた。
当時、京都大学の学生であった梅棹忠夫、川喜田二郎、吉良竜夫らも参加した。大興安嶺とは現在の中国東北部中国東北部・内モンゴルの火山山脈である。南北約1,200kmの長さに延びており、南に行くに従い狭くなっていく。東の中国東北部と西のモンゴル高原を分かつ、大ヒンガン嶺山脈である。
今なお深い森に被われ、1,200〜1,300mの標高を持つ山脈の最高峰は2,035mになる大山脈である。
今西錦司の著書によると、大興安嶺 探検は1942年5月〜7月、今西錦司を隊長に行われ正式には北部大興安嶺探検隊である。

隊員および編成

隊長・今西錦司  (京都大学理学部動物学教室)
副隊長/漠河隊長・森下正明 (京都大学農学部昆虫学教室)
本隊員 吉良龍夫 (京都大学理学部学生)
本隊員 伴豊 (京都大学文学部学生)
本隊員 小川武 (大阪商科大学学生・・現・大阪市立大学)
本隊員 折口勝夫(医師)
本隊員 佐藤信男(測量隊)
本隊員 山本幸雄(満州航空会社)
本隊員 大塚弘(無電技士)
本隊員 郭景章(無電助手)
支隊長 川喜田二郎(京都大学文学部学生)
支隊員 梅棹忠夫(京都大学理学部学生)
支隊員 藤田和夫(京都大学理学部学生)
支隊員 土倉九三(京都高等蚕糸学校生徒・・現・京都工芸繊維大学)
漠河隊員 江原眞之(京都高等蚕糸学校生徒・・現・京都工芸繊維大学)
漠河隊員 加藤醇三 (京都高等蚕糸学校生徒・・現・京都工芸繊維大学)
漠河隊員 川添宣行(立命館大学生)
漠河隊員 松本明保(測量隊)
漠河隊員 本郷與作(無電技士)
漠河隊員 張貴堂(漠河警察隊)
漠河隊員 関警士(漠河警察隊)


今西錦司が紹介する森下正明


  • ポナペ島探検から大興安嶺探検へ
      ◇ 今西錦司が紹介する森下正明ページへ

  • 梅棹忠夫が紹介する森下正明

     
     
  • 大興安嶺探検− 学生隊で秘境を縦断
      ◇ 梅棹忠夫が紹介する森下正明ページへ

  • 1952年発行 「大興安嶺探検」 森下正明著作 "漠河隊"

     
     
  • 第4章 漠河隊
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  • この本の執筆分担は、つぎのとおりである。紀行の部は1・探検の前夜、2・ガン河および 5・ビストラヤ本流からアムールへの3章は吉良竜夫が、3・白夜地帯を川喜多二郎が、4・漠河隊を森下正明が、それぞれうけもった。(大興安嶺より)


     
  • その他の章
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  • 京都大学名誉教授
    森下正明 研究記念財団
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